京都の龍馬とおりょう

京都の龍馬とおりょう

 坂本龍馬については調べれば調べるほどよくわからないことに気づきます。あれほど、小説、ドラマ、映画の中では、生き生きと活躍しているのに、龍馬自身が語る史料があまりにも少なく、人々を惹きつけてやまないあの「坂本龍馬」の姿がみえてきません。寝小便たれで、泣き虫、何をやっても劣等性だった龍馬が成長するにつれ立派に強く、たくましくなり、やがては日本の国を変えてしまうまでになる、われわれ龍馬ファンが描いているあの龍馬像はどこからきたのでしょう。  史実を紐解きながら坂本龍馬のすべてを解りやすくお伝えします。

月額500円

ライター紹介

赤尾 博章
特定非営利活動法人 京都龍馬会理事長 「近江屋」のすぐそばに生まれ育つ。土佐藩邸跡立誠小学校卒、甲南大学卒業後商社勤務を経て家業の古書籍業に従事。 1993年京都龍馬会設立。2004年NPO法人化 理事長就任。 現職、酒場「龍馬資料館」

デジタル書籍紹介

デジタル書籍名 京都の龍馬とおりょう
価格 月額500円
発行周期 週刊
発行形式 HTMLメール
サイトURL http://www.kyoto-ryoma.jp/

サンプル

坂本龍馬の誕生日は?  龍馬の誕生日は命日と同じで11月15日と云われていますがどうしてわかるのでしょう。  江戸時代には戸籍はありません。誕生日という概念もあまりないようです。1月1日にすべての人が1才年を重ねます。生れた時が1才ですから12月末に生まれた赤ちゃんも翌日には2才になります。  宗門人別改帖という戸籍謄本に近いものはありますが、没年は書かれていても生年月日は書かれていません。 武家の長男の場合は所轄庁に出生届を出すことがあるので生年がわかる場合もあります。次男以下の場合はほとんど記録がありません。 龍馬の場合も公の記録は何も残っていません。 高知の文筆家 川田雪山(瑞穂)が龍馬の妻お龍のインタビュー記事を「千里駒後日譚(せんりのこまごじつたん)」と題し明治32年(1899)11月3~29日の間土佐の『土陽新聞』に6回掲載しました。その6回目に次の一文があります。 ◎「龍馬の生れた日ですか、天保6年の11月15日で丁度斬られた月日(慶応3年11月15日)と一緒だと聞いて居るのですが書物には10月とあります、どちらが真(しん)だか分りませぬ。龍馬の名乗りの直柔(なほなり)と云うのは後に換えた名で初は直蔭(なほかげ)と 云ったのです。伏見で居た時分に、直蔭は何日迄も日蔭者の様でイケないから直柔と換えると云って換えました。」 天保6年11月15日は西暦では1836年1月3日、干支は乙未(きのとひつじ)、日曜日の生まれです。 龍馬の誕生日を特定できるのはこのお龍さんの言葉しかありません。明治32年以前の小説などには誕生日が10月とか11月などと書かれています。お龍さんが龍馬の誕生日を忘れるはずがないので、龍馬自身が間違っていなければ本当の事と信じたいですね。 ちなみに龍馬が亡くなった慶応3年11月15日は西暦1867年12月10日、丁卯(ひのとう)、火曜日です。


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